ゴールドシップ、憎めないあいつを育成してみて|有馬記念までの栄光がかすむ!出遅れ癖の真相とは?
ども!マサ公です😊
今日はゴールドシップの、ウマ娘での育成レビューについて詳しく述べます。
あわせてダイワスカーレット、ウォッカとの育成難易度の比較と、ゴールドシップの略歴についても触れたいと思います。
ゴールドシップといえば彼の輝かしい競争遍歴もさることながら、三連覇がかかった宝塚記念のゲートでの奇行で、ファンの期待を裏切った馬としても有名です。
その奇行の真相とはどんなものだったのでしょうか。
さっそく見ていきましょう。
2015年宝塚記念でファンの期待を大きく裏切った凡走の真相
ゴールドシップは気性に問題ある馬としてその奇行は有名です。
2014年の天皇賞春で、ゲートで立ち上がって怒り散らすパフォーマンスとみせ、惨敗してあらためて彼の気性的問題を露呈します。
そして迎えた2015年宝塚記念。
彼はこのレースで再びゲートで暴れだし、他の馬がしばらく進んでからのスタートとなる、大出遅れを演じてみせます。
このときのゴールドシップの怒りの真相は何だったのでしょうか。
実は隣の枠のトーホウジャッカルがウルサクしたため、彼はつられて怒りだしてしまったのだそうです。
枠入り最後のラブリーデイが入るころにはその怒りはピークに達し、とてもスタートどころではなくなってしまったのでしょう。
このように気性に一癖も二癖もあるゴールドシップに、その辺にいそうな気難しくもなぜか許せる人物を連想してしまい、かえって親しみを感じてしまうのは私だけでしょうか。
ゴールドシップ、ダイワスカーレット、ウォッカのキャラを比較してみて
実際ウマ娘のキャラクターの中で、他にダイワスカーレットとウォッカのキャラに触れてみた段階では、私と一番ウマが合うのはゴールドシップです。
ダイワスカーレットは性格が良く頭も良すぎて、かえって手がかからなすぎて面白みに欠ける感じがします。
ウォッカは男勝りな性格と頭があまり良くない特徴を持っていますが、そのキャラがタイプでないのと、彼女の育成には大きなカベが立ちはだかります。
本物のウォッカはダービーで優勝していますが、並みいる歴代の強豪馬がそろうゲーム内では、ダービー5着以内の課題は困難を極めます。
そんな理由で何度育成に失敗しても、ゴールドシップを愛育し続けているのですが、次に育成することによって得た手ごたえを述べます。
ウマ娘でゴールドシップを育成してみた感想
ポイント
有馬記念3着以内の突破
私がゴールドシップの育成に、5回以上挑戦してみての手ごたえでは、最大の難関は有馬記念3着以内の目標です。
一回だけ突破しましたが、次の天皇賞春3着以内の目標に向けて、既に余力はありませんでした。
適切な継承・サポート・フレンドウマ娘の選択
私の試した条件は、ダイワスカーレット、ウォッカを継承ウマ娘とし、サポートウマ娘はサイレンススズカ、スペシャルウィーク、メジロマックイーン、トウカイテイオー。
優先順位をつけたトレーニング
育て方としては、開始段階での各能力の初期値の比率を維持し、ターンが足りないときはスタミナ、パワー、根性、スピード、賢さの順で優先トレーニングを行いました。
適切なレースローテーション
選択したレースローテーションは、新馬戦の後11月後半の京都ジュニアステークスか、東京スポーツ杯ジュニアステークスに出走。
目標のホープフルステークス後、皐月賞前に弥生賞。
皐月賞後はダービーをパスして鍛練に集中し、9月後半のセントライト記念か神戸新聞杯に出走。
そして菊花賞を迎えます。
ここまででは、GⅠを勝てればそれに越したことはないですが、最低でも重傷を1勝、できれば2勝したいです。
でないと次の有馬記念では、獲得ファン数不足で出走すら叶わないからです。
菊花賞から有馬記念までは3ターンしかなく、鍛える余裕に乏しいので大変です。
1回だけ有馬記念3着を突破したときには、天皇賞春の前哨戦に京都記念を選択しました。
しかしなるべく鍛える余裕があった方がいいので、阪神大賞典を前哨戦に選んだ方が良いかもしれません。
苦しいときは逃げ作戦
ゴールドシップは、レース時の作戦としては追い込み・先行を得意とし、逃げをあまり得意としない設定になっています。
しかしGⅠなどで人気がなく、マトモにいっても勝ち目が薄いときは、逃げを選択すると案外結果が良かったりします。
その他の注意点
あと気をつけた点としましては、途中のイベントで2択または3択の回答を迫られるシーンがありますが、私はなるべく無難な選択をしました。
選択を誤ると、ステータスに不利を受けることが有りますので注意してください。
またトレーニングでのロスが、なるべく少なくなるようにしてください。
運を天に任せる
目標を深く達成するためには、先ほど述べたローテーションの過程でどれだけ好成績をあげるかが重要、というのが全体の印象です。
出だしが良ければ好循環が生まれます。
みなさんの健闘をお祈り申しあげます。
ゴールドシップの略歴
血統
ゴールドシップの父はステイゴールド、母はポイントフラッグで母の父はメジロマックイーンです。
ステイゴールドとメジロマックイーンの組み合わせは、彼の先輩オルフェーブルと同じです。
2頭が好成績を収めたことから、この組み合わせは当時、ピッタリのニックス※としてモテはやされました。
ポイントフラッグの母系を遡るとスイートフラッグという牝馬に行き当たります。
彼女は重賞2勝、桜花賞2着、オークス3着の実績を残した名牝で、その子孫は数代を重ねてゴールドシップに結実したのです。
※ニックス・・・種牡馬と繁殖牝馬の父との相性(例:サンデーサイレンス系種牡馬×ノーザンダンサー系牝馬)
誕生
ゴールドシップの母は身体が大きすぎて脚元に負担がかかりがちだったので、身体が小さいステイゴールドを配合した経緯があるそうです。
しかしこの両親のもとに生を受けた彼は、案に反して500キロを超える大型馬でした。
デビュー
ゴールドシップは2011年7月に函館でデビューしました。
主な勝ち鞍(活躍期間2011~2015年)
共同通信杯(GⅢ)
皐月賞(GⅠ)
神戸新聞杯(GⅡ)
菊花賞(GⅠ)
有馬記念(GⅠ)
阪神大賞典(GⅡ)(3連覇)
宝塚記念(GⅠ)(2連覇)
天皇賞春(GⅠ)
生涯成績28戦13勝(GⅠ6勝ほか重賞5勝)
海外出走歴 凱旋門賞14着
印象的なレース
2012年(3歳)4月 皐月賞
4番人気に支持されたゴールドシップは、その後自身のレーススタイルとなった道中最後方から3コーナーを境に徐々に進出する作戦がはまり、初GⅠ制覇をとげる。
10月 菊花賞
ゴールドシップは、ダービーの1~4着馬がすべて何らかの理由で同レースを回避する幸運に恵まれる。
圧倒的1番人気に支持され、レースでは向場面から進出を開始し4コーナーで先頭に立つとそのまま押し切って2冠目のクラシックタイトルを手に入れる。
12月 有馬記念
ファン投票で6位に押され、陣営は出走を決定。
ゴールドシップはファン投票上位の、オルフェーブルとジェンティルドンナが回避するという、またも幸運に恵まれる。
1番人気に支持され、GⅠ3勝目となるタイトルを手にする。
この結果、2012年度の年度代表馬の座こそジェンティルドンナに譲ったものの、最優秀3歳牡馬に選出され、この年の牡馬最強を印象づける。
2013年(4歳)6月 宝塚記念
ファン投票2位で迎えたこのレースは、1位のオルフェーブルが回避し、3,4位のジェンティルドンナ、フェノーメノとの3強対決の様相を呈する。
ジェンティルドンナに次ぐ単勝2番人気に支持されたゴールドシップは、ライバル対決を制してGⅠ4勝目をあげる。
2014年(5歳)6月 宝塚記念
連覇がかかるこのレースは、ファン投票1位の自身を含めて3位まで(2位ウィンバリアシオン、3位ジェンティルドンナ)が出走を表明するハイレベルな一戦となる。
1番人気に支持されたゴールドシップは、2着に3馬身差の完勝。
GⅠ5勝目。
2015年(6歳)5月 天皇賞春
ゲート入りを嫌がり目隠しされてのゲートインとなり、スタート後は1番人気のキズナと並んで最後方。
最後の直線で逃げた馬を抜くと2着にクビ差の辛勝。
3度目の挑戦で初めて天皇賞春のタイトルを手にする。
GⅠ6勝目。
引退後
種牡馬となり重賞勝ち馬一頭(ブラックホール、2019年札幌2歳ステークス)を輩出し現在に至る。
まとめ
ゴールドシップは気性に問題がある、ポジティブな見方をすればヤンチャという表現がピッタリな憎めないやつ、というのが私のつき合ってみた印象です。
そんな彼(女)をウマ娘で育成するのは、ダイワスカーレットに比べて困難を極めましたが、それでも微笑ましくてやり甲斐のある仕事だと感じました。
現実のゴールドシップがこれから走る馬をたくさん輩出し、産駒がいくつものGⅠタイトルをとって、父に負けない馬たちが現れることを願ってやみません。
お読みいただきありがとうございました。
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【ウマ娘】もしガチャでサイレンススズカを引いたら|史上最強の宝塚記念馬
ども!マサ公です。
今日の主役はサイレンススズカです。
彼は重賞5連勝を含む6連勝を記録し、宝塚記念を制した逃げ馬として有名です。
6連勝目の毎日王冠でも大逃げを打ち、後に凱旋門賞2着となるエルコンドルパサーと、有馬記念2勝のグラスワンダーを尻目に、影も踏ませず圧勝した馬として、その印象はあまりにも強烈です。
そんなサイレンススズカの略歴を紹介しながら、もしウマ娘のガチャでサイレンススズカをゲットしたらどう育成していくか、私の所見を交えてお話したいと思います。
誕生
彼が生まれた当時(1994年)は、サンデーサイレンス産駒が頭角を現し始める前夜のような時期で、アメリカでG1を6勝した鳴り物入りの高額種牡馬として注目されていました。
そんな父を持つ彼の毛色は栗毛でした。
当時「サンデーサイレンス産駒は黒い馬しか走らない」とう通り相場がまかりとおり、栗毛のサイレンススズカのデビュー前の評判は、毛色ゆえに疑問符が付くという偏見にも似た評価を受けていました。
しかも彼は体が小さく、関係者の目には走る姿が想像しにくい馬だったようです。
性格はとてもヤンチャで元気一杯でしたが、このことは気性に問題がある馬の可能性も否定できませんでした。
デビュー
そして迎えた1997年。
3歳となったサイレンススズカはデビュー戦を迎えます。
彼はデビュー前の調教で頭角を現し始め、一番人気で本番に臨むことになりました。
そして彼はこのデビュー戦で2着に7馬身差をつけて圧勝し、周囲の評価を一変させるのでした。
一躍クラシック候補の一角に名乗りをあげ、彼の忙しい日々がこのときから始まったのです。
難しい個性
まず皐月賞の出走権が欲しいサイレンススズカ陣営は次走に弥生賞を選びます。
2番人気に支持され陣営の期待は嫌がうえにも高まりましたが、このレースで心配された彼らしさが出てしまいます。
なんと発送前にジョッキーを振り落として、ゲートをクグってしまったのです。
ジョッキーは負傷しましたが、馬体検査の結果レースはそのまま続行されました。
しかし外枠発走となったサイレンススズカは、スタート直後に立ち上がってしまい、結局8着に敗れてしまいます。
このエピソードは彼の性格をよく物語っていると思います。
彼は気分が乗らないと激しい性格がもろに出てしまうタチだったようで、この後もたびたびヤンチャさをむき出して陣営を悩ませることになります。
その後サイレンススズカの陣営は目標をダービーに切り替えます。
手始めに500万下の条件戦を圧勝し、そして彼はトライアルレースで1着になって正式にダービーに名乗りをあげます。
迎えたダービーでは、彼は4番人気に支持されました。
しかし控える作戦が裏目に出て、チグハグなレースになってしまい、9着に終わってしまいます。
ご存じの方も多いかと思いますが、サイレンススズカの代名詞と言えば「大逃げ」です。
ダービー後徐々にこの作戦は定着していきますが、神戸新聞杯、天皇賞秋と不発が続き、マイルCSにいたっては15着と大敗してしまいます。
変身、そして6連勝
しかし次走の香港国際カップ5着を境にサイレンススズカに「何か」があったようです。
それはこのときから鞍上に迎えた武豊騎手との相性によるものなのか、それとも海外遠征で彼の心境に何らかの変化があったのか。
結論は定かではありませんが、年があらたまり1998年になるとサイレンススズカは変身します。
オープン特別のバレンタインステークスを皮切りに、3月にGⅡ中山記念を逃げきって初重賞のタイトルを手中に収めると、その後小倉大賞典、金鯱賞を圧勝。
既にこの年の大目標を天皇賞秋と定めていた陣営は、金鯱賞後放牧を予定していました。
思えばデビュー以来、サイレンススズカは休みらしい休みを取っていません。
この時期彼に一番必要だったのは休養でしょう。
金鯱賞後に休養をとってブッツケで天皇賞に挑戦したとしても、彼の実力からすれば充分勝利を見込めたと思います。
ここで決断があれば、サイレンススズカの悲劇が避けられたのではと惜しまれてなりません。
ウマ娘で、そんなサイレンススズカを育成する機会に恵まれて、同じローテーションを体験したとします。
トレーナーとして彼を宝塚記念に出走させるか否かを決定する責任を任されたら、私は迷いなく回避を決断するでしょう。
体力ゲージに気をつけながら、たっぷり休暇を与えて失敗確率の高いトレーニングはしません。
スパルタトレーニングを施して栄光を目指すよりも、彼に心も身体も健康でいてほしいからです。
無理をさせなくても、軽く殿堂入りするくらいの実力は、確実に備えた「ウマ娘」なのですから。
サイレンススズカは宝塚記念のファン投票で6位に推され、陣営は出走を決定します。
しかしこの宝塚記念、続いて毎日王冠への出走が、彼の伝説を揺るぎないものにしたとも言えるでしょう。
レースでは例によって大逃げを打ち、彼はステイゴールド、エアグルーヴを抑えて優勝し、5連勝を達成して念願の初GⅠタイトルを手にします。
余談になりますが、私があえて史上最強の宝塚記念馬を挙げるとしたら、迷いなくこのサイレンススズカを推します。
次走の毎日王冠の結果を知れば、その理由を納得される方も多いでしょう。
冒頭でも触れましたとおり彼は毎日王冠で、彼にヒケをとらない実績を残した名馬エルコンドルパサーと、グラスワンダーを子ども扱いにしたのです。
私は中継映像を目の当たりにしましたが、後にも先にもこんな衝撃的に強い馬を観たことがありません。
勝ちっぷりの強烈さで言ったら、彼の右に出る馬はいないでしょう。
本番・・・しかし
他の陣営はサイレンススズカの強さに恐れをなしたのか、次走本番の1998年天皇賞秋は参加頭数が12頭と、少ないメンバーでのレースになりました。
嫌がうえにも彼に人気が集中します。
そのプレッシャーだけでなく、デビュー以来ここまでほぼ休みなく使われてきて、彼は表に見せない疲労を蓄積していたのでしょう。
そしてサイレンススズカは、ライスシャワーのいる天国への、永遠のフライトに旅立ったのです。
まとめ
サイレンススズカは一言でいうと、「化けた最強馬」であるというのが私の印象です。
デビュー以来チグハグとしていた彼の戦歴は、香港遠征を境に一変します。
その原因は、やはり武豊騎手との相性にあったのではないかと私は推測します。
馬当たりの柔らかい優しい性格の武騎手になだめられ、彼の性格の激しい部分が安定していったのではないでしょうか。
また彼のほぼ年中無休のローテーションには、労をねぎらいたい気持ちでいっぱいになります。
もっと休み休み走らせてあげたかった。
でももうそれを言うのはよしましょう。
本当にお疲れさまでした。
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ウマ娘「天皇賞馬ライスシャワー」物語|宝塚記念で散った稀代の名ステイヤーの異名は刺客
ども! マサ公です😊
今日はライスシャワーの思い出を書きたいと思います。
この馬の別名は「刺客」でした。
ミホノブルボンや、メジロマックイーンの偉業達成を阻止した実績から、あまりありがたくない異名をつけられてしまったようです。
この馬は競馬でいうところのマラソンレースに当たる、3000m以上のレースに出て負けたことが有りません。
父親はリアルシャダイという種牡馬で、筋金入りの長距離血統でした。
このことからライスシャワーは稀代の名ステイヤーとして、歴史にその名が刻まれることとなったのです。
そんなライスシャワーの、私にとっての思い出をつらつらと書いてみます。
お付き合いいただければ幸いです。
出会いは1993年の天皇賞春から
実は私はライスシャワーのデビューから3歳にかけての活躍を、実際の中継映像などで観ていません。
又聞きになりますが、新馬戦に買ったもののクラシック前はさしたる実績がなく、そして迎えたダービー。
単勝16番人気を跳ね返し、ミホノブルボンの2着に入り一躍脚光を浴びました。
秋には2番人気で菊花賞を迎え、三冠のかかるミホノブルボンを差し切って優勝してしまったのです。
この時から栄光を目指すスターホースの、道を邪魔するイメージがつきまとい始めました。
そして迎えた1993年、4歳春の天皇賞。
この時はメジロマックイーンの同一レース3連覇がかかっていました。
私はそれまでニュースでオグリキャップなどの活躍に触れ、競馬に関心はあったのですが、馬券を買ったのはこの時が初めてでした。
そしてこのレースが、ライスシャワーとの初めての出合いとなりました。
私は競馬のケの字も分からず、友達に勧められるまま印どおりに、ライスシャワーからの馬連を買ってみました。
結果はまたもメジロマックイーンの栄光を阻止して、ライスシャワーが優勝してしまいました。
このときのテレビ放送の実況で、アナウンサーが初めて「刺客」という表現を使い、「 刺客ライスシャワー」というイメージが定着していったのです。
ちなみに私の馬券の結果は、生まれて初めて買った馬連が的中し、100円が340円ほどになったかと記憶しています。
儲けは40円ほどでしたが、私はビギナーズラックを体験することができました。
当たったことがとても嬉しくライスシャワーと言う馬をたまらなく好きになりました。
しかしこのレースを境に、ライスシャワーは長いスランプのトンネルに迷い込んでしまうのです。
スランプ
トンネルの始まりがその年の秋、初戦のオールカマーでした。
1番人気に支持されたこのレースでは、韋駄天ツインターボが大逃げをかまし、ライスシャワーは追走が間に合わず3着に沈んでしまいます。
私はこのレースを、自信が持てず傍観していました。
そして単純に「ツインターボってこんなに強い馬だったんだ」と思い込み、いつしかライスシャワーのことを忘れてしまっていたのです。
そして本番の天皇賞秋で、ツインターボ流しで大勝負してしまい、競馬の怖さを知るのでした。
ライスシャワーはこのレースでも6着に沈み、スランプは続きます。
私は大負けに縮み上がってしまい、この後のジャパンカップ、有馬記念の彼の凡走の被害を受けずに済みました。
ライスシャワーは迎えた1994年、春の天皇賞を目指して京都記念、日経賞と僅差の競馬をしましたが、その後故障が判明してしまいます。
このとき真剣に彼の引退種牡馬入りが検討されましたが、実績不足ということで現役続行が決定されたのです。
思えばこのとき種牡馬入りが決定していれば、例え実績の乏しさゆえに種牡馬としての人気がなくとも、彼はそれなりに幸せな一生を送っていたことでしょう。
私の方はツインターボのトラウマが延々と続き、ナリタブライアンが華々しく活躍する、その年の春のクラシック戦線をただ眺めていました 。
その秋にトラウマがようやく癒え、馬券を買い始めたところ、なぜかこの年は絶好調だったのです。
その当時の私の馬券スタンスは、ほどほどの人気で来そうな馬が、低評価を受けているレースを発掘し買うというものでした。
ある日曜日、その日は競馬をやらないつもりで家に届いたスポーツ新聞を眺めていたところ、これはこの馬が来そうだと直感したレースがありました。
いまから競馬場に行っても締め切りに間に合うか、という時間であったにもかかわらず、私は競馬場に駆けつけました。
そして買った馬券が的中するといった具合だったのです。
復調の兆し
故障後のライスシャワーは想定以上に回復が早く、私の好調と重なる時期に復帰してきました。
そして復帰初戦の有馬記念。
好調に酔いしれていた私は彼のことを無視していました。
その日の平場のレースで、例の狙い方で的中しプラス収支となったので、有馬記念は遊ぼうと決めていたのです。
結果はナリタブライアンが優勝し、女傑ヒシアマゾンが2着でした。
私はナリタブライアンの単勝を買っていたので、他の馬の順位には関心がありませんでしたが、ライスシャワーは密かにこのレースで3着に入っていたのです。
復活!!天皇賞春
そして迎えた1995年の天皇賞春。
このころには私の好調の波はどこえやらと消えてしまい、再び競馬の難しさが身にしみている時期でした。
ライスシャワーはこのレースで見事に二年ぶりの復活をとげます。
冒頭にも書きましたが、彼はこのレースを含めて3000m以上のレースを全勝しており、あらためて血統の裏付けどおりのステイヤーであることが証明されたのでした。
私はこの復活劇を予想だにせず、いっしょにお祝いする気持ちになれなかったのは残念ですが、「ライスシャワーは個性的な馬だったなあ」と今も懐かしく心に蘇ってきます。
今思えばこのタイミングこそ、絶好の引退の時期だったと悔やまれてなりません。
宝塚記念、そして「帰らぬ人」に
ライスシャワーの陣営は次の宝塚記念の際、事前のファン投票で1位に推されたことなどを理由に出走を決定します。
そして彼は「帰らぬ人」となったのです。
それはあまりにも悲しすぎる結末でした。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
まとめ
ライスシャワーはクラシックまでの活躍は地味でしたが、ダービー2着で一躍脚光を浴びます。
そしてミホノブルボン、メジロマックイーンという錚々たる名馬の栄光を阻止し、「刺客」というありがたくない異名を冠せられてしまいます。
「スランプの時期に引退を決断していれば」と惜しまれる過去はありますが、現役続行を実らせて再びの栄光を拝したのは、さすがに名馬と言わざるをえません。
この絶好の引退のチャンスを見送り、彼が悲運にみまわれたことは、きっと私たちの心に強烈な印象を残して、永遠に生き続ける定めの馬だったからなのだと思いたいです。
実際私の胸の中には、そのあと数々の名馬が去来しましたが、一番鮮明に焼き付いているのはやはりライスシャワーです。
彼の魂よ!永遠なれ
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阪神ジュベナイルFは自在性のサトノレイナスから~菜七子騎手おススメレース
こんにちは。
直感右脳馬券の世界へようこそ 。
競馬は簡単に考えるのが一番。
逆に言えば極力簡単に考えられるレースを、ピックアップすることが重要だと思います。
今週は阪神ジュベナイルフィリーズと菜七子騎手おススメレースをピックアップします。
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